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私の好きなものと生きるお話。

コロナと病み上がりと「ウィッカーマン」

2月に入ってから産まれて初めてコロナに感染し、高熱39度超えが3日以上続き、全ての記憶が飛んだと言っても良いくらい以前の生活が思い出せない日々です。

数日前から仕事に復帰したものの、現実感が失われていて、私自身はその場に存在していても心は上の空というか、別のところに居てなんだか生きてるのか死んでるのかわからない毎日です。匂いもまだ分からないし味も変だし声も変なまま。

ただ生きる為に動く為にエネルギーを摂って、喜びも何も無くひたすらって感じで「生きてる意味ないなー」とか、「生きる希望も楽しみも無い」ってくらい精神的にも落ち込みました。

高熱でホルモンバランスも崩れたので、より一層情緒不安定さにも拍車がかかっています。

いま私が感じている鬱っぽさや虚しさは弱っているからで、「いつかまた以前のように過ごせるはず」と頭では分かっていても心が追いつかず、早くくたばってしまいたいくらい、気持ちが落ち込んでいます。※ただ、自分のいまの気持ちを吐き出すためだったり整理するためにここに吐き出しているので、いつか図太く生きる(はず)なので…つらつらと吐き出させてください。(心配ご無用です。)笑

 

コロナになる前に観たかった映画を数本レンタルしていたので、熱が下がってからずーーーっと観たかった映画「ウィッカーマン」を観ました。

1973年版のものです。

数年前に「ミッドサマー」を観てからというもの、隔離されたコミュニティでの奇祭、カルトものにハマってしまいそれ以来ずーっと観たかった映画です。アマプラにも無いので、マニアックなホラー映画はレンタルしに行ってますが…いつかはマイナーなものももっと観られると便利だなと思います。

ウィッカーマン」は私が想像していたよりおどろおどろしくなく、グロいシーンは一切無く思っていたより恐怖は無かったので拍子抜けしました。直接的な恐怖というよりは独特のコミュニティの存在、厳格なキリスト教徒である主人公とは決して相容れることのない文化の違い、宗教の違い…。迫り来る違和感がじわじわ怖い、人間の怖さというような感じ。この後どうなるんだろう?という好奇心でいつの間にか88分経っている感じです。劇中流れるミュージカルのような歌も奇妙な世界観にとても合っていて良かったです。

この映画は当時のイギリスでの既成のホラー映画の概念を破りたくて、新たな世界、更に知的で誰も観た事が無いようなものを作りたいという熱い気持ちから監督たちが制作したらしいのですが、(DVDにも当時の貴重なインタビューが収録されていて興味深かったです)様々な不運があり120分から次々にカットされ、フィルムも紛失し、今日本で観られるのが完全版ではないという悲しさ満載の作品だそうで。

特典映像にカットされたシーンが少しだけ収録されていましたが、88分の短さでも十分「ウィッカーマン」の世界を楽しむ事が出来たし、当時の製作陣の彼らの熱意や挑戦が伝わってこちらも熱い気持ちになりました。

あのラストシーンは他の映画で中々味わえない独特の雰囲気を醸し出しているので、数々の困難に見舞われながらも今の時代にこうして私がこの映画を観られたことに感謝です。

カルト映画好きな方、ミッドサマー好きな方には是非観て欲しい作品です。(もちろん1973年版のほうをお勧めします。)生け贄…興味深い悲しい世界。

 

一月の震災、そしてコロナといい心身ともにもう何もかも嫌だーってなってしまう所なんですが、好きな映画を観ているとき、新しい世界に触れているときは嫌なことを忘れられるし生きててよかったって思える貴重な時間です。

これからも観たい作品をどんどん観ていけたらと思います(主に大好きなホラー作品)。

 

ドラマでは「厨房のありす」を観ていて、毎週癒しをもらっています。永瀬さん沢山活躍していて嬉しい限り。。。泣

 

絵もゲームもまだまだ楽しめそうにないかも。マスボ級には上がっておきたいけど、いつになるやら…。早く元気になりたいな。

絵に関しては今は二次より自分の内面を現す泥臭いものを描きたい気持ちでいっぱい。(自分のぐちゃぐちゃな感情で好きなキャラクターを汚したくない気持ちが強い)なのでオリジナルで。

 

病み上がり期、心を置き去りにしないように無理なく過ごしたいところです。

 

 

 

ではまたーーー。

 

 

 

 

 

What is love

一月はお正月から地震のせいでほぼ新年を迎えた気がしていないし、気持ちも沈んだ日が多かった。最近になってようやく映画を観たりほんの少しゲーム触ったり(以前に比べたらほぼ起動すらしなくなって寂しい)、少しずつだけど心を動かしたいという気持ちになってきている。

けれど、この頃また私の悪い癖が出てきてしまっていてなんとももどかしい気持ちになる。何度も書いたような気がするけれど、私は自分の感情や気持ちを心に留めておく癖があるので、本当は怒っていたり悲しかったことが一旦奥に追いやられてしまう為、気づいた頃には爆発寸前になっていて、また同じことの繰り返しか…って嫌な気持ちになってしまう。あー、あの時の仕事の日のあれ、嫌だったんだなとか我慢してしまったなとか。いまだにそれだから、まだまだ成長しないといけないな…。成長って言ったらなんだか堅苦しいというかそんな熱意あるもんでもないんだけど、なんていうか…そろそろいい加減にしたいよマジで…って自分への呆れた気持ち。笑

ホントはこのドス黒い感情を吐き出してしまいたいけど、一旦心にしまってしまうからそれらが行き場がなくなってしまって消化不良のままという、心身ともに不健康な状態が続くって言うね…。よくないー。非常によくない。ほんでもって、側から見ても非常に面倒くさいと思う。やだやだ。笑

 

分かりやすい人って羨ましい。これをしたら笑顔になる、これをしたら嫌なんだったよなとか。好きなもの嫌いなものを表現するのがさりげなくてうまくて、羨ましい。私もそんな分かりやすさを得たい。分かりやすい人は周りにも気を遣わせないだろうし、扱いやすいだろうしそんな素敵さを私もあやかりたい…。

その為には心の感度?を上げて自分の声に気付かないといけないんだよな…。

仕事以外のプライベートな自分の時間を邪魔されるのがめちゃくちゃ嫌い、自分のペースを乱されることが心底嫌いなんだと改めて感じた最近。。遅いわほんとに。嫌になる笑

 

ブログではまとめる?のが難しいけど、うだうだ書けるのが良いところ。醜態を晒すことを恐れず曝け出していかなくては。それが分かりやすさへの一歩でもある。

SNSでは私の本音とは遠いことを書いてることが多いな。笑

弱音や愚痴を吐きたいけど、いまはやめとこってなってそれとは違うことを書いてしまう。それもまた悲しいことに私の分かりづらさの一つでもありなんとも救いようがない。だけど心配してほしいが故の弱音とは違うから垂れ流すのも申し訳ないしーーってなってもうだめ。笑

 

心の整理にはブログが、紙のノートが1番なんだろうな。字も書かないと自分の字もどんどん忘れていってしまうし。そして書いてる最中に、「しょーもな笑」ってなってくるからそれもまた良い。

 

私はいまだに私の気持ちや生きてるかどうかがわからない時があるので生き返る為に何度でも向き合おうと思う。もうすぐ2月でついていけていないけど、それもまたついてけないーー!!無理ーーー!!!やだーーー!!って気持ちを飲み込まずどっかで吐き出さないといけない。最近怒ってる夢ばっか見てたのも抑圧してたのかな。1番よくない。誰にとってもよくない。笑

あーあー。最近羨ましいって思うことが増えたわ。なんかかなしーー。

 

今日観た2008年公開のピクサー映画「ウォーリー」観て涙出たなー。また今度色々書き殴ろう。

 

 

 

あーあ。かなしいなー。せつないなー。しんどいなー。ネガティブ吐かせてくれぇー。そんな日もある。やってらんねーーー。そういうの吐き出すのだいじ。

 

 

んではまたーーー。

 

 

 

 

 

狂気を求めるとき—「アイズ ワイド シャット」

このごろ自分の気持ちが何なのかよく分からないまま日々を過ごして、いつのまにか一月も中旬になってしまった。とにかく今の気持ちや感情をブログに書きたい、吐き出したいという思いが強いのに中々書けずにいた。

前みたいにゲームや趣味に夢中になることが今は出来ず、それでも虚しいのが嫌で枯れた心を何とか動かしたいという葛藤のなか、キューブリックの遺作である映画「アイズ ワイド シャット」(1999年公開)を観た。

想像していたより分かりやすく2時間超えでもあまり長く感じなかった。「シャイニング」も大好きだけどこの映画の妙な魅力に惹きつけられてしまって、既に何回も観たくなってしまっている。特に不気味で異様な例の仮面パーティでの儀式のシーン。宗教的な音楽がまた良くて、良い意味での気持ち悪さが頭から離れず、サントラ欲しくなったほど。笑

(Jocelyn pook / Masked ball)

https://m.youtube.com/watch?v=CoZJdil0_HI

 

宗教的で異様な光景が繰り広げられる映画ってとても好きで。音楽も民族音楽とかとても惹かれる。(宗教自体は好きじゃないのであくまで文化として…)

 

ある倦怠期の夫婦(トム・クルーズ&ニコール・キッドマン)の話で、生々しい感情のやり取りがとても好き。艶っぽいニコール・キッドマンが最高に素敵。口の悪いところ、夫との口論での感情爆発させているシーン、とても好き。

映画の詳しいストーリーや考察は検索すると参考になるものが沢山出てくるので、私は書けないけど、とにかく単なる夫婦の倦怠期や性的な問題だけじゃないんだろうなと思わせて来るところがキューブリック作品の魅力のひとつなんだろうなと思う。

映像、音楽、何もかも惹き込まれる。

とある謎の仮面パーティも、闇の組織…例のあの秘密結社が関係しているんじゃないかとか陰謀論目線で観るとまた沢山の発見があって、興味深く、何回も観たくなる。この作品の試写会の後にキューブリックが亡くなっているところも、消されたんじゃないかとか様々な憶測を呼ぶところもまたミステリアスな要素のひとつ。

主人公ビル(トム・クルーズ)もよくあんなに妖艶な女性たちにあの手この手で誘惑されながらもよく一線を越えなかったよね…。笑

原作がアルトゥル・シュニッツラーの夢小説(1926年)だそうで、この小説もいつか読んでみたい。

夫婦のあいだに起こっていることが夢なのか現実なのか分からない所、夢であって欲しいと思いたい所…そしてラストの夫婦の会話のシーン。

観ている側も何を観ているんだろうと思わせられる、一度観ると忘れなられない異様な乱交パーティ。

自分が知り得ない世界がこの世に存在していて、それらを知らないまま死んでいくのだろうかとか、さまざまなことを考える。

 

興味のある方は是非観て欲しい映画。非現実な世界へ逃亡できること間違いなしです。

ピアノの曲も不気味で良い味出しまくっていたので音楽にも虜になってしまったよー。

 

今「シャイニング」の続編「ドクタースリープ」観たいと思ってるけどキューブリックモードになってしまったから、アマプラで観られるうちにキューブリック作品改めて観ようかなと思う。

2001年宇宙の旅」は10代で借りて寝てしまってもったいないことをしたし、「時計仕掛けのオレンジ」も内容が内容なだけに気が向いたらまた観返したい…。

キューブリックはあれよね…完璧主義なところもまた魅力だよね。SUGIZOといいNINのトレント・レズナーといい完璧主義な職人気質なアーティスト大好き…!

 

今週末からまた忙し無いから中々心のゆとり持てないかも…。なんだかここまで弱るとは思ってなかったな。なんとか自分を取り戻さねばな…。

しんどいーーだるいーー!!って気持ちしか出てこない日々なので、弱音も吐きまくりたいと思いながら…。笑

 

昨年年末に観てた大好きなドラマ「白夜行」の話も改めて書けたらと思う。

 

 

んではまたーーーー!

 

 

荒波

年末年始はいつも仕事なので、年末感や年始の雰囲気を感じないままいつもの日常が流れるが、今年は違っていた。地元で大きな地震があり、命の危険を感じた。そういう時こそ冷静にと日々思いながらもいざとなると何を持って避難したらいいのか分からずパニックになる。

有難いことに私の住む場所は被害が少なくて済んだ。電気も水もある。ただ、能登の方は悲惨な状態になっていて心が痛む日々。

今もなお余震が続いている為寝る時も眠りが浅く、気が張っていて中々リラックス出来ないでいる。気持ちの切り替えができないまま、仕事が再開されていて、心の整理が出来ていないまま動いている。

とにかく今は余計な情報を入れず、心を守ることを優先している。

一刻も早く水と電気が復旧されますように。

連日買い占めがあったり、物資を送るために大量に買い物があったり何かと心がざわざわしてしまう。早く日常が戻ることを祈る。

 

 

今は中々楽しいこととか考えられないし、心が荒んでいてよくないなーと思いながら、眠れるときに眠ってどうにか体力を温存している。

体調も優れないし、早く元気になりたいな。

こういう時こそ、冷静にきびきび動ける人たちを見ていると強いなって思う。

肖りたい。

なんとか日々の癒しを見つけてなくては。

癒し…というか、好きなものに癒されるなって心を取り戻したいというか。

 

たくましく今年も生きていくからね。

 

 

悲劇のヒロインの倒し方

被害者ぶる人、何もかも人のせい何かのせいにする人、悲劇のヒロインでいる事はとても楽だと思う。何も変わる必要がなく、全て他人のせいにしていれば済むからだ。自分の弱さを振りかざせば、いつだって他人に慰めてもらえるからだ。他人だって、その悲劇ちゃんには厳しいことなんて言えなくなる。下手に強く言って何かあったら困るからだ。だから悲劇のヒロインはめちゃくちゃ厄介で面倒で、非常に強いのだ。

私も10代20代のはじめの間は、自分の奥底に眠る被害者意識が消えなかったし、生い立ちがしんどいものであれば優しくしてくれたし、どこかで甘えているところがあった。それが物凄く嫌で、自分で自分に腹が立って変わりたくて仕方なかった。

自分と向き合い続けてきて、今ではその悲劇のヒロインでいることは手放せていているように思う。

似たような属性の同僚に会った時も考えが手に取るように分かるというか…相手にしないのが1番だと、それが相手にとっても自分にとってもいいと思うから適度に罪悪感なく距離を取れるようになった。

いつまでも被害者のまま、かわいそうな自分でいたいならどうぞって感じで。「私は変わりたい」と思わない限り人は変わらない。

今も年末年始は気持ちが沈みそうになったり気力が奪われてしまいそうになるけど、何もかも人のせい何かのせいにはしたくないので、自分の心の状態を冷静に知ることがめちゃくちゃ大切なんだと日々心に刻んでいる。

手強いぞーー、かわいそうな自分ってのは。笑

みんな表面上優しくしてくれるからね。厄介よね。。

 

今年は全然手帳書けなかったから来年はまた書いて行きたいなぁと思う。

自分の今を客観的に見ることと、心の状態を知ること…いやだなー、もやもやするなーって時はひたすらノートに書き殴ったりしてとにかく気持ちを吐き出すこと。そして何もかも自分が選んできた人生なのだと責任を取ること。誰のせいでもない。自分のせい。笑

それは自分を責めることではなくて。冷静な判断であって。

ああやって生きてきたらそりゃ今こんなことで悩むよなーみたいな。笑

ある意味開き直りというか、そうだよねーって事実に自分がよりそう感じ。

日本語難しいけど。

 

今年あと残りわずからしい。

何聴きたいかなー。最近これって気分にならないから新しい何かに没頭したいなー。一月入ったらサブスク再開するからまたお楽しみ。

 

何もかも「ふーん」で受け流したい今日このごろ。そしておでんばっか作っちゃう。美味しすぎ。。

 

 

ではまたーーーーー💫

 

 

 

 

 

推しとは神なのか。

最近(でもないけど)よく推しという言葉について考えたり、それに付随するあらゆる文化や想いなど…様々なことを考えてしまう。そもそも何故私は、人は、所謂「推し」だったり「誰か」にまるで神様を崇めるかのように熱狂してしまうのだろう?と、ふと考えに考えを巡らせまくってしまっている…。結論はまだちゃんと出てないんだけども。。(出てないんかい)

私がロックに目覚めた10代である00年代は推しという言葉で語られることはなく、それらは好きなアーティストとして現されていた気がする。(私が傾倒していた世界…もっとバンギャル的に現すなら「神盤」「好盤」などなど懐かしい言葉が思い出される。笑)

それでもV系で言うならそれぞれのファンの独自の呼称があったし今もそれは根付いているので、単純な「好き」だけでは言い表すことが出来ない、独特なある種宗教的な熱狂がそこにはあったし、今もそうなのかも知れない。(今の現場を見てないので分からない)

そして推しについて考えることのきっかけとして、私が20代の終わりにアイドルにハマり始めたことが大きいのもある。アイドル界隈ではV系のそれとはまた違った独自のルールや世界があり、独特の愛で方(といったらいいのだろうか…)がそこにはある。アイドルに関しては話が終わらなくなるのでここでは割愛するけれど、改めてなぜ私はアーティストにハマるのだろうと今になって真剣に無駄に哲学的に(笑)考え始めた。

 

言ってしまえば偶像崇拝のようなものだし、私は彼らに対して見返りを求めるわけでもないし、ましてや自分の存在を知って欲しいだとか彼らの生きる世界線に混ざろうなんて気持ちはこれっぽっちもない。外側から見ていたいだけというか、要である作品を聴いたり観たりライブに行かせてもらっているだけであって、現実でどうこうなりたいという願望が一切無い。そういうのではないのだ。

 

むしろ私は10代のときは本気でLUNA SEASUGIZOになりたかったし、(真剣に言っているからこそ笑うところです)彼らとどうこうなりたいのではない。私は彼らみたいになりたかった。眩しくてかっこよくて、ひたむきな彼らが眩しくて、そんな風に生きられたらなという理想を体現したような人達…それが私の好きなバンド達だった。

得てしてファンというものは厄介な存在でもあり、私自身もめんどくさい存在だなと感じながら大好きな作品を楽しませてもらっている。

明るくポップな作品を出したらあのバンドは変わってしまっただの、少しゴリゴリなダンスをキメる曲を出せばあのアイドルは路線を変えたなど、言い出したらキリがない。自分の思い通りにならないからといってファンを辞める人もいる。好き過ぎるが故の、厳しめな意見は私は好きだけれど、好きだからこその暴走は違うと思うし、彼らが自分の理想通りじゃなくなったからといって文句を言い続けるのも違うと思う。依存と尊敬の意味を込める好きとは、全く別物だと思っている。

 

最近ではSNSもあるので二次元三次元に関わらずどれだけグッズを持っているかやツアー全通するのがすごいだの古参新規言い出したらキリがないが、様々なファンの存在を知ることができるからこそまた人間関係も面倒になり、人と比べてしまうというのも勿体無い話な気がしている…。

自分のペースで自分なりに好きなアーティストの作品を楽しむ。そのシンプルなことが人と比べることで削がれてしまうのは違うし、推しという言葉やヲタク文化に関しては言葉にするのが難しいけれど、なんだか簡単に語れない何か複雑なものを感じてしまう。

だからブログでゆるく感想をつらつら書いたり、非公開で何か想いを吐き出したりするほうが楽だったりするときもある。

話がそれにそれるのでまた戻るけれど、なぜ誰かや何かにそこまで熱狂してしまうのか…。

出会った時期の心の状態やその時の環境…タイミングで刺さった言葉や曲や映像。それらに励まされて、元気をもらえる存在。そして、自分もそうでありたいなとか、そんな風に生きたいだとかそんな風に表現する人間になりたいなという、憧れの気持ち。。

それぞれがベストなタイミングで重なって出会った時に心に残り、追ってしまうようになるという。

もちろん10代の頃に出会ったものであれば、私も大人になっていくのでこれまでの熱を持ち続けられず現在の楽曲やライブなど追えなくなったアーティストもいる。けれど、好きなものはずっと好きで。。宝物なんだよね。

だからジャンルを問わず好きなものは多ければ多いほど楽しいし、心が豊かになるし幸せな気持ちになる。

憧れの存在はたくさんいたし今もいるけれど、彼らだって人間なので、勝手に神のように崇めたくは無いところ。。。

そして私も、彼らから肖って、こういう所が好きっていうものや学んだことを昇華して生きていきたい、それに尽きるなーと思う今日この頃。

 

まとまらないけど、誰かと好きの比べ合いはナンセンスだしくだらないし、自分が好きであれば胸を張って堂々と好きでいたらいい。

ただ、依存的にはなりたくないと思う感じ。距離感はものすごく大切にしてたいと思う。遠いほど良い。笑

 

やっぱり言葉にしてまとめるのは難しい話ではあるけど、好きなものをより好きなまま、そしてもっと好きでいるためには自分の心の状態が大切だしもっと単純に、シンプルに楽しめたらなーってよく思ってる。

 

 

今年はLUNA SEAがまた精力的に活動してくれているのでとても嬉しい。メンバーみんないつまでも元気で健康でいてほしいな。ここまできたら願うことっていったらそれだよな…。SUGIZOのストイックさもずっと憧れなのでいつまでも憧れの存在と言ったらSUGIZOなんだよなー。

好きは力をくれるよね。

自分の人生を彩ってくれる大切な存在だからこそ、自分も輝いて生きていくしかないよねって思う、そんな話でした。やっぱり結論ここ…。笑

 

それでも推しというものがいない人もいるので、あまり他人に憧れない人もいると思う。私はその傾向がないので過度に何かに憧れない人の心境や心理がとても気になるし興味深い。究極自分を推していければ楽しそうだなとも。話がまた逸れまくるのでこのへんで!

 

 

んではまたーーーー💫

 

 

迷っていたい。

つらつらと、深夜の日記。

私は感情の波が激しく、割と動ける時と何もしたくない時が極端だ。そしてこの寒いのか暑いのかよく分からない12月の気候も不安定さを助長させている気がしてなんだか何もかもがわからない。とにかく季節のせいにしたい。季節のせい、気温のせい、年末の忙しなさのせい。

気持ちが落ちているわけではなく、なんというのだろう…無とも違う、ぼんやりとして何とも言葉では現すことが難しいのだけど、虚しさともまた違う、じわじわと気怠い感じというか。SNSに何か気持ちを書こうにも、言葉にならないから打っては消して、形にならないぼんやりとした気持ちと共に過ごす日々。

だいたいそう言う時は自分の欲しいものを我慢していたり、なんと言うか何かしらずーんと心が重たくなる火種のようなものが奥底に眠っていたりするんだけれど、今はそれもまだよく分からない。いつもしばらくしてから、「あー、私はあのときのあれが嫌だったんだな」とかそういった事に気付く。日頃から気持ちの言語化?のトレーニングでもしていたら、ああこういうことか、いつものこれね。って分かる様に感度が鋭くなっていくんだろうか。。。

 

まぁ何もない時はほんとに何もなくて、書くことないなーとかそう言う時はあるよね。いつもゲームの話したいわけでもないし音楽の話したいわけでもないし、心の話をしたいときもあって、これ!ってカテゴリーで縛れないというか…。だからこそSNSも雑多になる。分けることも無理。笑

その話だけするってのがまず無理だからー…。

 

こういう意味のない中身の無い話を延々と書いていたい時はなんとなくここに打ち込む。読み返すことはあるのかな。どうかなー。人との会話で癒されることも沢山あるし腹立つことも沢山あって日々何やかんや人との関わりは刺激的で面白い。今年は飲み会に行く機会が多かったな。来週もあるし年明けもあるなー。お酒が強かったらもっと楽しめていいのになー。私は極度に吐くことが怖くて嫌いだから、ついセーブして飲んじゃうのもまた自分がつまらない。笑

良い風に言えば自己管理出来てる。無理のない範囲で飲んで悪酔いしないしこのへんで辞めとこって理性が働いてる。だけどそこが私には物足りなくて、もっと記憶なくすまで飲んでみたかったり吐くのを恐れたくなかったりする。どこかで自分を守ってしまうから、それ以上のリミットを外すことがなくて、なんか面白くないんだよなー。飲み方一つでそこまで考えなくてもいいだろうとも思うけど、なんていうかもっとこう…からを破っていきたいよねぇ。もう30過ぎてるのになんだか切ない。私は理性が強過ぎるんだな。

無茶してる人ってこちらから見てるとものすごく面白くて魅力的に映る。だからといって吐きたくはないし…あーーー。

 

そういえば仕事関係のストレスか何かはわからないけど、去年から突然40度の熱出したり胃腸炎になることが増えた。今年も一回やらかした。あまりになるから人生初の胃カメラをのんだ3月、結果は何も無くめちゃくちゃに健康だった。めちゃくちゃ綺麗な胃の中を見せられ、病は気からなのか…?と思うなどした春。こういう無茶は面白くなく辛いんだけども、私も気付いたら朝だった!とか記憶なくした!とかやりたいな。

もっと若い時に無茶しとくんだったなー。

なぜここまで無茶したいのかよく分からないけど。笑

生きてる!って感じが羨ましいのかもしれないな。

 

生きかえりましょう、来年はもっともっと。

死んでたんかって感じかもだけど、死んでたも同然の人生だったので、これからもっと楽しく生きていきたい。なんなんだろうこのふわっとした感じ。笑

楽しく生きるとは。ふんわりしてるよな。

 

なんも考えない時間と、己の人生と向き合う時間と交互に作ってどんどん開き直っていきたいところ。

今日の日記も着地しないよ まとまらないよ。

 

今は描きかけの絵があるけど背景に苦戦してきてもはや下絵の意味…ってなってきた。アナログで画用紙買ってきて絵の具もいいな。相変わらず青い絵ばっかり惹かれるのでたまには違う色の絵も描いていきたい。気持ちだけでっかく…。

 

 

ではまたーーー⭐️